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2006.07.18

自分が一番大切、という感覚(推敲中稿)

親が子を 子が親を殺す 地獄かな

なんだか最近、殊に凄惨な事件が多い気がします。
特に目に付くのが、親が子を、子が親を殺める事件。
人間としての「たが」が外れてしまう人が多いのはなぜだろう、という疑念が絶えません。

社会道徳とか、儒教的精神とか(それらの良し悪しはともかくとして)、そういった「形のないもの」がどんどん”合理化”されていき、「タブー」がタブーでなくなっていっている昨今。
「理屈ではなくて、だめなものはだめ」
という歯止めがどんどん利かなくなっていっているような気がします。

言葉ではうまく説明できないけれども、今までおぼろげならがにあった「共通認識としてのあるべき姿」という像が世代間で共有できなくなっているからか、それとも、自らの行方末に希望を持てなくなったが故に、刹那的に「今」を消費する文化になってしまったからか。
とにかく、「自分が一番大切」という感覚が行き過ぎてしまっているのではないでしょうか。
親でありながら、「自分を大切に」した結果の行動が、子供を殺すという選択。
自分のことしか見えていないバカ親の、なんと多いことか。


◆「自分が一番大切」という感覚
結論から言うと、その感覚は否定できるものではありません。”是”です。
その究極の姿は、「利己的な遺伝子」という考え方であり、自らを守りつつその遺伝子(自らのコピー)を残すことが、生物の存在目的である、というものです。

しかし、行き過ぎた「自分が一番大切」という感覚は、短絡的な自己完結を生み、結果的に遺伝子の断絶を生み出してしまうという矛盾を生み出す場合があるわけで。
それは一種の淘汰なのでしょうか?

淘汰。
種の浄化。
自浄作用。

タブーや道徳観念が通用しない時代であるならば、なおさらヒトとしてのバランス感覚が求められているのだと思うわけです。
自分を大切にしつつ、どれだけ周りに気を配るか。
そんなの当たり前のことだと思うんですけどね。


それが通用しないヒトの、なんと多いことか。

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