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2004.04.03

武天老師の感じたはがゆさ

世界一の武天老師といわれた時代がなつかしいわい・・・・・・・・
鳥山明(ドラゴンボール31巻)

亀仙人(武天老師)が制止するのも聞かず、犬死に覚悟で人造人間に立ち向かうことを決意して行ってしまった天津飯。
そんな天津飯を見て脱力し、地面に座り込んで亀仙人がつぶやいた一言です。


昔は孫悟空やクリリンを教え導いていた亀仙人。
天津飯には正義の道を説き、神様に対しては「ドラゴンボールがあったからこそ、幾多の出会いがあり、そして世界は救われた」とフォローすら入れたすごい人。

そんな亀仙人は天下一武闘会で「ジャッキー・チュン」として優勝したこともあり、その腕前は世界一と謳われていましたが、みるみる力をつける弟子たちに抜かれていき、いつのころからか前線に立てなくなっていました。

なんの役に立つことも出来ない己の無力さを痛感し、胸の奥から搾り出すようにして履いた言葉なんだろうと思います。
この台詞ひとつに、ピッコロ大魔王以降、亀仙人が前線に立たなくなったあたりからの万感がこめられているように思いました。

お・・・おのれ・・・ いまのわしにはまったく どうすることもできん・・・・・

地球や宇宙のこと一切は弟子たち任せで、自分は何も役に立てていない。
そんなはがゆさがこの台詞を言っているコマでジュースの缶を握りつぶしているシーンにも現れていると思いました。


僕は弟子を持ったことが無いのでわからないのですが、弟子が自分以上の力をつけて自分を超えたのを悟った瞬間とはいったいどういう気持ちがするものなんでしょうね。。
あげく、自分の力の及ばないはるか高みに弟子が行ってしまったとしたら。

そこにあるのは満足感なのでしょうか。それとも無力感?嫉妬?哀愁?

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